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未装

西園寺公望

未装短冊「初夏ある人を尋行て 山里は 卯花月夜 ほとゝきす なつこそくへき 所なりけれ」

素材・寸法
紙本 銀砂子金箔散らし 6×36.3
値段
8,800円

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作者略歴

明治-昭和時代前期の政治家、公爵。京都生まれ。右大臣徳大寺公純の次男。西園寺師季の養子。号は陶庵。戊辰(ぼしん)戦争では山陰,北陸に転戦し越後府知事になる。フランスに留学,パリ大学を卒業,帰国後明治法律学校(明治大学の前身)を設立。中江兆民らと《東洋自由新聞》を発行し民権論を主張した。1882年伊藤博文の憲法調査に従って外遊し認められ,第2次,第3次伊藤内閣の文部大臣。1903年伊藤が枢密院に入ると政友会総裁に就任,1906年,1911年に組閣したが陸軍と対立して1912年総辞職した。以後は元老として首班推薦の任に当たり1918年には原敬を,1924年には加藤高明を首班に推すなど立憲政治・政党内閣制を支持した。この間1919年パリ平和会議の首席全権をつとめた。1937年第1次近衛文麿内閣を最後に後継首班推薦の任を辞した。昭和15年(1940)没、92歳。

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